永代供養堂・霊場・札所

沿革

 近年、少子化、核家族化等で、御先祖様をまつり、墓を守っていくことが難しく、新しい供養の仕方、墓のあり方を求められる方々が多くなりました。
 「跡継ぎがないけれど」「自分一人のお墓を」「子供に面倒をかけずに」・・・でも、無縁仏にはならないようにしたい。そんな願いをかなえられる新しい形態のお墓が必要となってきております。
 当山においても、これからの時代に対応し、檀信徒の菩提-こころのやすらぎ-を末永く安らかに弔うことを目的として、永代供養堂「法雲庵」を再興いたしました。
 本尊は、古くから当地の上地区に伝わる霊験あらたかな悩みを聞きとって下さる傾聴地蔵菩薩。総骨・分骨を納めることができます。
 供養堂は、上段の、お位牌をおまつりする位牌堂と、中段の、お遺骨を25回忌まで安置いたします納骨堂、それから下段の、お遺骨を合祀して土に還っていただく輪廻堂の三つからなります。
 建立地は自然に囲まれ、後ろの山々を借景にとりこんで、静かなたたずまいを見せています。また、山の麓からは空中に浮かぶお堂のように見えます。俗世を離れた、より極楽に近い場所とみることもできましょう。
 有縁無縁の仏様や、これまでにお遺骨をお預かりしていた仏様に対して、永遠のやすらぎを得られるお堂ができたことはありがたいことです。 これから、法雲庵を死後の住まいとされる方々にとっても、安心してこの世を生きることができるものと存じております。
 供養堂を利用する方は、仏教信者であればこれまでの宗派は問いません。利用は、生前申込み、遺骨受け入れのいずれも可能です。永代供養、納骨、いずれもできます。
 利用者は過去帳に記録され、永代供養の場合、位牌は供養堂で永代安置されます。お遺骨は、25回忌まで納骨堂で安置され、そのあと輪廻堂で合祀されます。
 当山住職は、永代供養者の百回忌までの年回忌法要をつとめるほか、春秋の彼岸会及び盆に合同法要を営み供養させて頂きます。
 その他、不明な点がございましたら、どうぞお尋ねください。

管理規約(抜粋)

第1条(目的)
少子高齢社会の到来、核家族化、若者の都市移住の増大等により、先祖を祀り墓地を維持することが至難となり、新しい供養の仕方、墓地の在り方が時代の要請となっていることから、松尾山聖福寺に供養の庵を建立し、檀信徒の菩提を末永く安らかに弔うことを目的とする。
第4条(利用資格)
当庵を利用できるのは次の希望者とする。
(1) 聖福寺檀信徒
(2) 一般希望者(仏教信者であれば宗派不問。ただし、申込後は当寺に帰依すること)
第5条(申込及び供養料)
利用は、生前申込み、遺骨受け入れのいずれも可とする。
供養料等は次の通りとする。
(1) 永代供養料 金額は特に定めない
(2) 納骨料 金額は特に定めない
(3) 位牌 合同の位牌(過去帳)に戒名を記帳する
供養料50万円以上納入で希望する方には当寺が個別の位牌を作製する
(4) 納入した金品は返還しない
(5) 申込後は聖福寺檀信徒として花園会費(檀信徒会費)を納入する
第6条(供養等)
当庵の運営・供養細目は次のとおりとする。
永代供養の場合
(1) 当代住職は、永代供養者の百回忌までの年回忌法要をつとめるほか、春秋の彼岸会及び盆に合同法要を営み供養する
(2) 遺骨は25回忌まで骨壺で安置し、以降は合祀し土にかえす
(3) 「永代供養証書」を発行する
(4) 遺骨は返還しない
(5) 過去帳に記録し、永代安置する
(6) 現存する墓石並びに墓地の整理は申込者が行う

熊野曼陀羅 (くまのまんだら)三十三霊場

~本当の自分を探しに~

 「物の時代は終わった、これからは心の時代である」と言われて久しくなります。しかし、その一方、おびただしい外界の情報の洪水に呑み込まれ、自己の主体というものを見失っている人々が多いこともまた事実です。
 情報化社会に与えられた便利で真新しい世界を眺めているうちに、いつの間にやら肉体は年をとってしまった。精神的な成長を見ずに、自己を取り巻く魅惑的な世界に関心をもってひきずられているうちに、気付いたら年老いてしまっていた。そんなことが起こりうる時代です。
 物が豊かになって何でも手に入ります。遊びに行くところもいくらでもあります。着るものもあります。毎日、買い物だ、おいしいものだと追い求め、快楽・快適な世界に没入しているうちに、ともすれば自己を養うことを忘れてしまいがちです。
 現代は、乗り物でも、情報でも、流行でも、とにかく「早い」ものに価値が見出されています。その行き着く先はどこにあるでしょうか。私たちは、今一度、じっくりと足元をみつめ、円満なる人格を形成すべき時に来ているといえましょう。

 山に降った雨が大地に染み込み、大地は木を育て、木は山を作り、山は虫や鳥といった命ある者の営みを支え、そしてまた雨を降らす。長い年月の間に、個々の命はその終わりを迎えようとも、次の世代へと自らの命を伝え、その命の連鎖は今もなお続いています。
 日々の喧噪から離れて、熊野の奥深くに古より脈々と受け継がれている自然の命の息吹を感じるとき、自分もまた、その大いなる命のひとつであることに気付かされるでしょう。
木には木の、虫には虫の各々の役目を持って、無心にひたすらに生きています。たくさんの命の繋がりのその先に、今の自分が存在していることを思うとき、自分はどう生きるべきか、なにを成すべきか、静かに内面を見つめ直すことができるのではないでしょうか。
 平安の昔より今に伝わる熊野信仰。熊野の神は、“大自然”そのものでありました。
 熊野の自然に触れた時、思い起こされる詩があります。

渓声すなわち是れ広長舌、
  山色豈に清浄心にあらざらんや

~川の流れる音は神や仏の声であり、
     山の緑は神や仏の姿です~

 谷川のせせらぎの音が、すなわち神や仏の途切れることのない親切なご説法であると言うことができます。山の青々とした緑の色、その姿が、すなわち神や仏のお姿にほかならないと言うことができます。これは、一人一人が実際に体験して感じ取っていただく外ありません。
 幸いにして、熊野には、神や仏が住む大自然があります。草や木が、そのままの姿で私たちの心を安らぎに導いてくれます。
 本当の自分を探しに、熊野曼陀羅霊場へおいでになりませんか。

熊野曼陀羅 第三十三番 聖福寺 住職
関守研悟 合掌

順番 社寺名 郵便番号 所在地 電話
1 闘鶏神社 646-0031 田辺市湊655 0739-22-0155
2 慈航山 海蔵寺 646-0042 田辺市南新町20 0739-22-0702
3 芳養八幡神社 646-0057 田辺市中芳養803 0739-23-1736
4 泉養寺 646-0057 田辺市中芳養1081 0739-24-6653
5 尋聲寺 646-0215 田辺市中三栖1761 0739-34-0601
6 救馬渓観音 649-2103 上富田町生馬313 0739-47-1140
7 稲葉根王子社 649-2100 上富田町上岩田2988-2  
8 興禅寺 646-1111 上富田町市ノ瀬無番地 0739-48-0101
9 住吉神社 646-1101 田辺市鮎川1512 0739-49-0825
10 福巖寺 646-1414 田辺市中辺路町西谷575 0739-64-1045
11 滝尻王子宮 646-1421 田辺市栗栖川1223 0739-64-0366
12 継桜王子宮 646-1401 田辺市中辺路町野中 0739-65-0012
13 玉置神社 647-1582 奈良県吉野郡十津川村玉置川1 0746-64-0500
14 熊野本宮大社 647-1731 田辺市本宮町1110 0735-42-0009
15 東光寺 647-1732 田辺市本宮町湯峰112 0735-42-0256
16 祐川寺 647-1703 田辺市本宮町請川374 0735-42-0766
17 阿弥陀寺 649-5453 那智勝浦町南平野 0735-55-0053
18 熊野那智大社 649-5301 那智勝浦町那智山1 0735-55-0321
19 青岸渡寺 649-5301 那智勝浦町那智山8 0735-55-0404
20 補陀洛山寺 649-5314 那智勝浦町浜ノ宮348 0735-52-2523
21 神倉神社 647-0044 新宮市神倉 0735-22-2533
22 熊野速玉大社 647-0081 新宮市新宮1番地 0735-22-2533
23 阿須賀神社 647-0022 新宮市阿須賀1-2-25 0735-22-3986
24 南珠寺 647-0071 新宮市佐野3-4-6 0735-31-6548
25 大泰寺 649-5148 那智勝浦町下和田775 0735-57-0234
26 霊巌寺 649-4104 古座川町高池993 0735-72-1880
27 成就寺 649-4122 串本町西向396 0735-72-0754
28 神王寺 649-4124 串本町伊串861 0735-72-2923
29 潮御崎神社 649-3502 串本町潮岬2881 0735-62-0919
30 安養山 海蔵寺 649-3521 串本町江田528 0735-66-0126
31 萬福寺 649-2621 すさみ町周参見4280 0739-55-2159
32 草堂寺 649-2325 白浜町富田1220-1 0739-45-0004
33 聖福寺 649-2201 白浜町堅田1211 0739-45-0162

聖福寺・御詠歌解説

まつのおの やまのあらしもさむからで

かねのひびきも よそにきこえて

熊野曼陀羅第三十三番、近西国第七番の聖福寺の御詠歌について紹介させて頂きます。

 観音信仰としては、近畿地方に散在する有名な霊場を、順番を追って参詣する「西国三十三所観音霊場巡礼」がありますが、「近西国」というのは、そのミニ版で、白浜から南部までの観音霊場巡礼コースです。聖福寺はその第7番の札所にあたり、千手観音菩薩をおまつりしております。

 「松尾山(まつおざん)」は聖福寺の山号です。昔から聖福寺の境内には松が多く植わっていたところからこの名前が付けられたのでしょう。

 ちょうど季節は冬の今頃でしょうか。聖福寺の境内から吹き下ろす一陣の風は凛として厳しく、その風に乗って大鐘の音がどこまでも響いていく。

 「山のあらしも寒からで」、「寒い」は同時に、「澄みきった」禅寺特有の清々しさをあらわしています。

 「鐘のひびき」は仏法の喩えであります。聖福寺にも脈々と伝わる釈尊の悟りは凛として厳しいものであり、毎日夕方についている昏鐘の響きはそのまま仏法として人々の心にしみこんでゆく、そういう情景を詠ったものです。

 また、ここでいう「鐘のひびき」は昏鐘にかぎったわけではありません。皆さんが大晦日の時に聖福寺においでになってつく除夜の鐘の音もまた仏法、観音講・御詠歌をお勤めする際に鳴らす鐘の音もまた仏法として、あまねく天下に広がるのです。

 「よそに聞こえて」というところが大事であります。いくら尊い仏法でも、内にこもって世間に広まらないようでは困ります。聖福寺本堂の木版写真では「よそに聞こえじ」とも読めますが、ここはどうしても「よそに聞こえて」でありましょう。

 そして、その天下に広がる「鐘のひびき」を聞いた時、我々は、川のせせらぎがそのまま釈迦の説法であり、山の緑がそのまま仏の体であり、「新年おめでとうございます」と交わす互いの声がそのまま仏の声であることに気付くのでありましょう。