1分紹介動画(Youtube・音声つき)

空中庭園「補陀洛(ふだらく)」

 聖福寺の麓から長い石階段を登って山上に着くと、目の前に開放的な庭が広がります。少し極楽に近づいたような、さながら空中庭園です。
 この聖福寺本堂前庭「補陀洛」は、山と海を表現した枯山水です。それはちょうど和歌山の風景と重なります。遊歩道の向こうの岸は補陀洛、ご本尊の観音様のおわす浄土になぞらえられます。

 しばし体と呼吸と心を調え佇んでいると、気づかされることがあります。
 古くには、遙か西にある「西方浄土」を目指して紀南の沖から船でこぎ出した歴史もあります。しかし、白隠禅師はこう示されています。
「当処すなわち蓮華国、この身即ち仏なり」。

 「当処すなわち蓮華国」、極楽浄土ははるか遠くにあるのではなかったのです。極楽は亡くなってから向かう場所ではなかったのです。今、自分が立っているここがすなわち極楽であり、そのまっただ中に私たちはいるんだ。その真実に気づかされます。

 そして、「この身即ち仏なり」、この身がそのまま仏であるからには、自らが日々仏の振るまいをしてゆかなければなりません。この世界をそのまま極楽浄土にしてゆくために自分には何ができるか。仏(=目覚めた者)としてどのように生きてゆけばよいのか。
 空中庭園「補陀洛」は、見るものに常に問いかけています。

名勝「徳雲庭(とくうんてい)」

 聖福寺の麓から長い石階段を登って山上に着くと、目の前に開放的な庭が広がります。少し極楽に近づいたような、さながら空中庭園です。
 この聖福寺本堂前庭「補陀洛」は、山と海を表現した枯山水です。それはちょうど和歌山の風景と重なります。遊歩道の向こうの岸は補陀洛、ご本尊の観音様のおわす浄土になぞらえられます。

 しばし体と呼吸と心を調え佇んでいると、気づかされることがあります。
 古くには、遙か西にある「西方浄土」を目指して紀南の沖から船でこぎ出した歴史もあります。しかし、白隠禅師はこう示されています。
「当処すなわち蓮華国、この身即ち仏なり」。

 「当処すなわち蓮華国」、極楽浄土ははるか遠くにあるのではなかったのです。極楽は亡くなってから向かう場所ではなかったのです。今、自分が立っているここがすなわち極楽であり、そのまっただ中に私たちはいるんだ。その真実に気づかされます。

 そして、「この身即ち仏なり」、この身がそのまま仏であるからには、自らが日々仏の振るまいをしてゆかなければなりません。この世界をそのまま極楽浄土にしてゆくために自分には何ができるか。仏(=目覚めた者)としてどのように生きてゆけばよいのか。
 空中庭園「補陀洛」は、見るものに常に問いかけています。

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住職ご挨拶

この度、数あるホームページの中から、皆様がこの寺においでになったことはまことに有り難いことであると、仏縁に感謝しております。私の師匠、河野太通老大師は、心の時代といわれる今、伝統仏教が、これまでの檀信徒の方のみを対象とした布教だけでなく、広く門戸を開放して、高らかに仏法を掲げていく時代に入ったということを示されておられます。  宗教家として物があふれている時代だからこそできることがあります。この情報化社会のなかで、おびただしい外界の情報の洪水に呑み込まれ、自分を見失っている人々のなんと多いことでしょうか。そのような人々を救いだし、時代の流れのなかで宗教を、仏法僧を敬う心を失っている人々の宗教心をもう一度引き戻し、共に現世の空を行じていくのが住職の使命であると確信しております。  とはいえ、まだまだ右も左も分からぬこの未熟者、心の時代を担って立つべき住職として、一体なにができるだろうと考えた時、忸怩たる思いをいたすところですが、何か皆様のお役に立つことができれば幸いと、ホームページ開設を発願いたしました。どうぞ御指導の程、宜しくお願い申し上げます。

聖福寺 第15代住職 関守研悟 合掌

【プロフィール】
1972年、和歌山県 白浜町に生まれる。1991年、智辯学園和歌山高等学校卒業。1995年、早稲田大学法学部を卒業後、神戸の祥福寺専門道場に掛搭。河野太通老大師・木村太邦老大師に師事する。2005年、当山住職就任。2008年、花園大学大学院博士後期課程卒業、文学博士(仏教学)。花園大学講師、和歌山県教育委員会委員など歴任。音楽を用いた講演を各地で行っている。

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